『永遠』












 触れる吐息はやけに静かで。それが現実のものなのかを、眼前にしながらも酷く疑った。
 指先に当たる感触は、薄い肉の下から僅かな体温を伝えてくる。
 その器官が動くのと同時に、指先が入り込み爪先が内側に触れて濡れる。


「……何の真似だ此れは」


 声色は不遜に、けれどその視線は酷く揺らいでいる。指先を肉の内側で触れたまま、彼はそう呟いた。
 唇が動く。その度に入り込む、感覚のない爪先が内側を軽く弾く。
 濡れる感触。僅かに湿った粘膜が爪先を湿らせていく。
 其れをただ見遣っていた。


「スザク、」


 困惑気な声が届く、その声に合わせて指先を触れさせた薄い唇が動く。
 突き上げる衝動に顎を捉えて視線を交え、そのまま薄い唇の合間に指を捻じ込ませた。それだけの行動だった。
 身じろぐのに合わせて衣擦れの音が響く。サラリと肩を滑る布は上質の肌触りを残して止まった。
 真白の衣装に伸ばした黒の装束が、その対比が自分達の立ち位置を知らしめる。
 何処まで行っても、交わる事の無い路だった。何時だって、初めから決して合わさった事など無かったのだろう。
 繋がっていたと思っていたのは錯覚だった。
 どこまでも、自分達は違う人間だった。何もかもが違っていた、取った手段も求めたものも。


「どうしたんだ…スザク」


 真っ直ぐに向けられた視線、含まされた指先を食んだままで囁く声は静かで。ついさっき告げられた言葉を紡いだ時となんら変わりは無かった。


「…別に?」


 絡んだ視線はそのままに、至極不自然な格好のままで言葉を交わす。
 ただ一言いわれただけだった。
 一言、休めと。自分の生まれた日ぐらいは休め、そう言われた。
 何の事だか判らなかったと言ったら、彼はまた眉根を寄せるのだろうか。
 指先に、彼の低い体温が伝わる。
 逸らされることの無い視線に、根を上げたのは彼の方だった。紛い物の紫玉が、少しだけ戸惑ってから不意に逸らされる。
 それが何故か気に障って、顎を掴んだままの手に力を込めて顔を上げさせた。


「っっ、」


 小さく息を呑んで、それでも彼は再度視線を絡ませる。
 その瞳の中に映る自分の顔は、酷く表情の無い顔をしていた。
 含ませていた人差し指をそっと抜き出して、反対の唇を親指の腹で撫で付ける。
 何度も何度も繰り返し撫で付けて、温もりを確認する。
 柔らかな弾力に、目を眇める。


「…何なんだ一体」


 ハァ、と小さな吐息が指先に掛かる。濡れた皮膚を僅かな熱が通り過ぎていく。
 クルリと指先を廻し、指の腹を押し込めて温かな粘膜を撫で付ける。


「ン、っ?」


 いきなりの行動に目を瞠って、彼は細い腕を上げて手首を掴んでくる。それでもその腕が払いのける動作をする事は無かった。
 嫌そうに眉を寄せながら、歯茎をなぞり舌先を指で撫で付ける指を含んだまま。ほんの僅かだけ、手首を掴んだ指先に力を込める。
 止めろとは言わない。
 腕を除けようともしない。
 向けられる行為を全て享受する。
 それが、彼が自分に向けた精一杯の妥協なのかもしれなかった。
 ピチャリと唾液が絡む音がする。
 そうしてから漸く、指先を引き抜いた。


「…っ、」


 コクリと喉が上下するのを見つめながら、顎を掴んでいた掌を離してそっと頬に添えた。
 指に絡んだ唾液がヌルリと滑る。不快感を浮かべて、瞳を眇めながらも彼は逃げない。
 低い体温が掌に触れる。自分の掌の方が熱いから、余計に体温の低さが目に付く。
 基礎代謝の低い証拠だった。それだけ、寝食を投げ打って肉体も精神も酷使していた人だった。
 それを思い出したのは、決別してまた向き合った時だった。
 たった一つの大切なものの為に自分を犠牲にしてきた証拠に気付いたのは、そのずっとずっと前だったというのに。
 同じように成長した身体の細さに、驚愕すると同時に彼がこれ以上壊れてしまわない様にと祈った。その気持ちは今、何処に行ってしまったのだろうと思う。
 薄れていった想いだった。大切だと言いながら、他の事に気を取られて遠ざけてしまったのは自分だった。
 手を離したのは自分だと、根拠の無い絆という繋がりに胡坐をかいていたのだと気付いたのは、彼が再度手を伸ばしてくれた時だった。
 その隣で、金色の瞳が咎める様に歪んでいたのを覚えている。
 その立ち位置は自分の物であった筈なのにと、浮かんだ感情を無理やり飲み込んだ。
 言える立場では無いのだと、誰に言われなくても自分が良く理解していたから。


「スザク…」


 気付けば、俯き唇を噛み締めていた。それに気付いたのか、気遣う声に名を呼ばれる。
 だから、それだけで良いと思った。


「…名前を呼んでくれ、ルルーシュ」


 顔を上げてそう告げれば、目の前の視線が僅かに揺らいだ。そうしてから、どうしたんだとでも言いたげに緩く首を傾げる姿は、偽りない彼の本当の姿だった。
 自分の前でだけ曝け出せる、そう告げられたのは随分と前だった。


「休暇なんて必要ない。気を使う必要も無い…だからルルーシュ、せめて名前を呼んでくれないか」

「スザク…?」


 小さく名前を呼ぶ唇が、震えているのに気が付かない振りで、再度強請る。
 後どれ位、彼が自分の前で自身を晒してくれるのかを考える。それはそう遠くない未来に費えるものだ。
 限りのある時間だった。


「名前を呼んでくれルルーシュ、俺が此処に居るんだという証に」


 生まれた日の寿ぎなんて紡がなくてもいい。
 どうせなら、自分が此処に立っているのだという証が欲しい。
 その声で、必要だと呼んでくれるだけで良い。そうすればどうやってでも立ち上がる事が出来ると思う。
 だからどうか。


「呼んでルルーシュ。誰でもない君の声で、君が呼ぶ俺の名前が聞きたい」


 呼び続けて欲しい。
 それだけで良い、と小さく呟いた声を。真っ直ぐに受け入れて、彼はじっと見つめてくる。
 頬に添えた掌はそのままに、手首を掴む細い掌もそのままで。
 白く細い指先が、自分に向かって伸びてくる。その桜色の爪先が自分の頬に添えられたと同時に瞼を閉じれば、ゆっくりと身を寄せて来る気配がして直ぐ間近に彼の体温を感じた。
 頬に触れる指先が、ゆっくりと優しく撫で付ける。
 耳元に何度も囁かれた自身の名前に。その声色に繰り返し応えを返しながら、頬に添えた掌に力を込めた。












『You know,I did not need to love myself』
(あのね、僕が僕自身を愛している必要はなかったんだ)


 そう言えば、君はきっと怒るだろうけど












日付誤魔化してのスザク誕生日話でした。騎士皇帝の殺伐とした雰囲気が好きなんです…。
                                                                       2010/07/14