『カフェ・プティボヌールへようこそ』  4


















「ただいま」


 大きな扉を開けて玄関を潜り挨拶を口にすれば、ホールの上から声が掛かって顔を上げる。


「お兄様、お帰りなさい」
 今、降りますからと、大切な妹が出迎えの為に顔を出していた。多分、自室の窓から丘を登ってくる姿を見ていたのだろう。


「急がなくて良いよナナリー。アーニャ、よろしくな」


 車椅子の後ろに控えていた少女に声をかければ、無言のままコクリと頷いたのが見えた。そのまま二人は壁側にあるエレベーターに向かったのか姿が見えなくなる。
 エレベーターの前まで移動して待てば、小さな音と共に扉が開き、車椅子がゆっくりと降りてきた。


「…お帰りなさいお兄様。お仕事お疲れ様です」

「お帰りなさい、ルルーシュ様」


 口々にそう告げられて、微笑みながら手に持っていた箱を掲げて見せる。


「御土産があるよ二人共。ジノはどうした?」


 そう言えば、二人が嬉しそうに顔を綻ばせるから。
 彼は、ルルーシュは楽しそうに微笑んだ。


「…ボヌールのですね、お兄様。お寄りになったのですか?」


 三人でリビングまで移動しながら、ルルーシュから受け取った箱を膝に置いてナナリーが問いかける。


「あぁ、途中で美味しそうな匂いがして、我慢できなかったんだ。新作が出来たと言っていたけど、ナナリーはもう食べたかな?」

「どんな新作でした?」

「紫芋のスイートポテトだそうだよ」

「それはまだ頂いていませんね。お食事の後に皆で頂きましょう、アーニャさん」


 ナナリーの声に、後ろで車椅子を押しているアーニャがコクリと頷く。無表情に見えるが少しだけ表情が綻んでいるので、アーニャも嬉しいのだろう。
 リビングの扉を開けば、ソファに座りながら何事かを話し合っている二人の姿が見えた。立ち上がるのに、手を上げて制すればそれでも二人は走りよってくる。


「お帰りなさいませルルーシュ様。チャイムを鳴らしてくださいといつも言っていますのに…」


 お出迎え出来ずに申し訳ありませんと、頭を下げてくる一人にルルーシュは苦笑を浮かべた。


「自分の家に戻ってくるのにどうして鳴らさないといけないんだ、ジェレミア。自分で門くらい開けられるさ」


 気にするな、と自分よりも年嵩の成人にそう告げる。本国から付いてきた彼は、ずっとそうやって自分達兄妹の面倒を見てくれていた。その事実にルルーシュは感謝しながら、それでも自分でやれる事は自分でやるのだと、宣言するかの様に微笑んだ。


「お帰りなさいルルーシュ様。それでも門の所でチャイムを鳴らして下さい。そうすれば皆でお出迎え出来ますし」


 もう一人の、こちらは背丈こそ自分よりも大きいが年下の少年にもルルーシュは苦笑するしかない。


「ジノ、わざわざ出迎える必要も無いしお前達だって自分の事があるだろう? 気を使うなと何度言えば分かるんだ?」


 此処に来て何年になると思ってるんだ、と今度は言い聞かせるかの様に笑う。


「…うぅ……でもルルーシュ様…」


 綺麗に光を反射させる金髪を項垂れて、それでもと視線だけで訴えてくる姿に。ルルーシュの隣でナナリーが小さく噴出した。


「ジノ…、お前ナナリーにも笑われてるぞ?」

「っ、ナナリー様!」


 口元を掌で隠しながらそう呟けば、耳元を紅く染めてジノがナナリーに向かって叫ぶ。


「だって、だってジノさん、大きな子犬みたいなんですもの…」


 クスクスと笑うナナリーに、更に頬まで染めてジノは俯いてしまった。


「……子犬って、しかも大きなって、それって子犬じゃないですしっ!」

「だから図体だけデカイ子犬って事だな。なんだジノ、やっぱりお前の事じゃないか」

「ルルーシュ様!」


 ジノの咎めるような叫び声にルルーシュもナナリーも大きく声を上げて笑い、アーニャは黙々とその様子を携帯で撮っている。その様子に、ジェレミアが呆れた様に嘆息しながら声を上げた。


「ヴァインベルグ、いい加減にしないか。ルルーシュ様、夕食の準備を致しますのでお着替えを」


 そう言って促してくるジェレミアに、ルルーシュは頷くと隣にいるナナリーの頭を撫で付けてからリビング出る。後ろから聞こえてくる楽しげな会話に、笑みを浮かべている横顔を垣間見て、そっとナナリーとアーニャが笑みを交わした。軽快に歩く足音を響かせる背中から疲労の色が消えうせていた事に、二人が安堵の溜息を漏らしたのを知っているのはジェレミアだ。
 ルルーシュが大学進学を止めて家族の経営する会社に就職したのは、この自由な生活を護る為だった。誰にも口出しさせないと、ルルーシュが独りで総ての生活費を稼いでいる。けれど、家族同然の人間達までも抱え込んでいる所為か、それとも持ち合わせた能力の所為なのか。担当する仕事量の分配が多く、何時もヨレヨレになって帰ってくるのを皆が知っている。知っていて、口には出せないでいるのだ。
 だからせめて、家では安らいで欲しいと願っている。皆がルルーシュを囲むのはそんな理由だ。


「お兄様今日は特に、お疲れが少ない様子ですね」


 良かった、とナナリーがケーキの箱に手を添えたままで呟く。
 その理由はきっと、このお店のお陰なのだろうと判っている。ナナリーは嬉しそうに箱の包装紙を眺めた。アイボリーの紙に銀で書かれた店名は、ナナリーも贔屓にしているあのお店だ。


「ルルーシュ様、坂を上ってくるのも背中曲げて無かった。今日は調子良い?」


 首を傾げるアーニャに、ナナリーはニッコリと笑った。


「きっと、今日は楽しい事があったんですわ」


 だからですよ、とナナリーは言い切ってケーキの箱をジェレミアへと差し出す。そのままジェレミアはキッチンへと真っ直ぐに向かい、冷蔵庫へと箱を仕舞いこんだ。
 そうすれば、階段を下りてくる足音が聞こえてくる。
 家長であるルルーシュが揃えば、夕食の時間だ。ラフな格好に着替えたルルーシュが姿を現すのを確認してから、ナナリーは片手を上げる。そうすれば、当然とばかりにルルーシュの男にしては薄い掌がギュウと握り返してくれる。


 そうしてキッチンに置かれたテーブルへと、二人は並んで向かっていった。




























 ジェレミアの準備した夕食を皆で食べた後、リビングへと移動してナナリーとアーニャが早速ケーキを食べようと準備を始め、ルルーシュはその様子をキッチンで紅茶の準備をしながら見守っていた。


「あら、お兄様。こちらの…オレンジのは新作ですか?」


 みたことがないものです、と呟くナナリーの声に。ルルーシュはポットとカップを乗せたトレイを手にリビングに向かうと、箱の中を覗き込む。
 中には自分が買ったものの他に店内で試作だと渡されたジュレが二つ、紛れ込んでいた。


「これ、は……試作品だそうだよ。俺も店内で頂いたんだ、とても美味しかった。入れてくれたんだ、な…」


 綺麗なオレンジ色のジュレ。ナナリーにも食べさせてやりたいと思った、綺麗な色合いのそれが。箱の中で他のケーキと一緒に当然とばかりに並んでいる。
 対応をした店員の顔を思い出し、ルルーシュは笑みを浮かべた。


「温州みかんのジュレだそうだよ」

「そうですか…。ボヌールでは本当に時々、試作品を振舞われる事があるんですよ。お兄様もそれに当たったのですね」


 結構、心待ちにしている人達も居るみたいなんです、と。既に常連なのだというナナリーがニッコリと笑う。
 テーブルにトレイを置いて、ルルーシュが人数分の紅茶をカップに注ぎ始めると、食事の後片付けをしていたジェレミアとジノもリビングへと戻ってきた。


「さて、と。それじゃあ頂こうか?」


 目の前に差し出された皿の上に乗ったケーキを見つめ、ルルーシュがそう口にする。そうすれば、ジェレミアはまず自分のカップに口を付けて皆の様子を見つめ。ジノは箱の中を覗き込んでケーキを選び、既に自分の分のケーキを選び終えていたナナリーとアーニャは、残りの分を皿に乗せていく。ルルーシュの元に来たのは、紫芋のスイートポテトとレモンパイだ。


「お兄様、ジュレは私とアーニャさんとで頂いても宜しいですか?」

「あぁ、いいよ。食べ過ぎないようにな?」

「アーニャ、私にも一口くれ!」

「じゃあ、ジノのティラミスミルクレープも一口頂戴」


 わいわいと皆が楽しそうに話す声を聞きながら、ルルーシュは自分で淹れた紅茶を一口飲んで、ゆっくりと吐息を吐いた。そうすれば、目の前に座ったジェレミアが小さく笑ったのが聞こえて、視線を向ける。


「…お疲れ様です、ルルーシュ様」


 労わる声に、ルルーシュは苦笑を浮かべた。自覚は無かったが、この親代わりとも言えるジェレミアにはお見通しなのだろう。


「……平気だ、ジェレミア。それに今日は、気晴らしも出来たことだし」

「気晴らし、ですか?」

「あぁ……、お店に居る……ボルゾイに似た、茶色いフワフワの…」


 そう言ってから、ルルーシュは不意にケーキへと視線を向けた。
 くるくる跳ねる癖毛は動く度に揺れて、大きな翡翠の瞳が笑みに眇められるのを見るのはとても楽しい。テキパキと疲れを知らない動きは、見ていていつも惚れ惚れしてしまうのだ。


「…見ているだけで、癒されるんだ。今日は、すぐ傍で見られたから、良い気分転換にもなったよ」

「………ボルゾイ、ですか?」


 訝しげに呟くジェレミアの声に、ルルーシュは上の空で返す。


「あぁ、ボルゾイだな、アレは。初めはシバかと思ったんだが…プードルとも違うし。かといってサモエドとも少し違うんだ。体格的に、やはりボルゾイだな…」


 ホゥ、と小さい吐息を吐いてルルーシュは笑った。その視線は遠い。


「ボルゾイ、ですか……」


 首を傾げるジェレミアの様子にも気付かず、ルルーシュは宙を見つめたままで笑みを浮かべている。その二人の様子を、生温い目で見つめる三人は口々に呟いた。


「…ですからお兄様、人様の事を犬に喩えるのは失礼に当たりますと前にも言いましたのに」

「ナナリー様、ルルーシュ様聞いてない」

「アレは聞こえてないですよ、もう頭の中はボルゾイ一色ですね」


 私も見たいなぁ、とジノが手づかみでケーキを頬張りながら呟いた声に、ナナリーはキッパリと言い切った。


「駄目です、ジノさんはまだです」

「どうしてっっ!!!!!!!」







 こうして少しだけずれているランペルージ邸の一日は更けていくのだった。





2011/09/25


一気にランペルージ家まで行きました(笑)
お兄様本当に失礼です。そしてジノが可哀想。