Under the rain














 パタパタと雨が屋根を壁を叩く。
 その音が耳に心地よくて、知らず瞼を伏せて聞き耳を立てた。
 雨音は激しさを増すばかりで、止む気配は無い。乱暴な音の筈が、それでもどうしてか躯を覆うのは静寂だけだ。
 他に音のしない空間の中じっと身動きせずに耳を澄ませれば、躯中の余分な力が抜けていくのが判る。
 背凭れに躯を沈めて、ただ雨音に意識を集中させた。
 どの位、そうしていたのだろうか。
そっと瞼を開ければ、目の前のソファに人影があった。


「寝てた?」


 穏やかな声が響く中、雨音は鳴りを潜めていて。瞬きを繰り返して見つめていれば、フッと微笑まれた。


「珍しいね、転寝なんて。」


 ソファのスプリングがギシリと音を立てる。
同じように背凭れに躯を預けた格好で、此方を見つめてくる翠の瞳が、凪いでいるのが。
 どうしてか、胸を締め付ける程の感傷を生んでいく。


「………そう、か?」


 搾り出すようにして出した声が震えていないか、気にしようにもそれどころではない。震える腕を見られない様に、両腕で躯を抱きしめた。


「うん、一緒にいるようになってからは見なかったから。」


 前は良くやってたけど、と。穏やかな表情で話すその表情は、見間違えようがなかった。声も眼差しの優しさも。
 見間違える筈などないのに、どうしてと思ってしまう。
 けれど、自分の在るべき世界の事を思い出せば、何でもありだなと納得してしまえるのだから不思議だ。
 漸く少しだけ吐息を吐いて、腕の力を抜く。それでも、震えている自分が情けなく思える。
 薄暗い室内の中、新緑の色を映したその瞳がジッと見つめてくるのが。懐かしく思えて見つめ返した。


「……ねぇ、」


 小さな声は、テーブルを挟んだ距離からでも容易く聞き取れる。


「満足かい、ルルーシュ?」


 愛おしそうに名前を呼ばれて、再度躯が震えた。けれど言われた言葉に、瞳を瞠る。


「君は今、満足してる?」


 表情は楽しそうであり、また悪戯を仕掛けた時の様でもあり。どちらにしろ、問い詰めたい訳では無いのだと知れた。だから、偽らずに本心を告げる。


「満足さ…。」


 望んだ事の殆どをこの手で済ませてきた。それで満足かと聞かれたらそうだろう。自分自身の事だけを考えれば、だが。
 だから、ポツリと毀れた本心は隠しきれなかった。


「残された方は、辛いだろうがな。」

「判ってて望んだ癖に、よく言うよ。」


 小さく吹き出しながら、そう言ってから忍び笑いを零す。その表情は、本当に楽しそうで嬉しそうで。だからだろうか、思いよりも言葉の方が早く口を吐いて出ていた。


「スザク、お前は……。」


 けれど。
 何を問いかけようとしたのか、言葉は続かなかった。続けられなかったのかも知れない。
 問いかけて、返された言葉に傷付くのを恐れたのかも知れなかった。けれどそんな此方の心境も考えずに、真っ直ぐな視線と真っ直ぐな言葉は胸を突き刺していく。


「ルルーシュ、僕は君の願いを叶えたかっただけだよ。だから僕は君の思いを受け入れた。」


 君を幸せにしたかった、それだけなんだ。
 そう告げる声は表情は、強い意志で向けられている。その事に、どれだけ歓喜しているか。胸が震えて声が出せない。
 せめて視線を外す事だけはしたくなくて、歪んでいく視界の中、眩しい新緑の色をジッと見つめ続ける。


「君の願いの為に世界を壊した。その事を後悔しない。」


 キッパリと言い切って、彼は躯を起こした。
 そうすれば、その躯は少しずつだけれど透けていって。あぁ、もう駄目なのかと呟いた声が届く。


「………、また来る、から。」


 ルルーシュ、と呟いたのだろう。声は聞こえて来ない。唇が動いたのが見えただけで、言葉は途切れる。


「今度は、」


 腕を伸ばされて、随分と薄くなった指先が精一杯伸びて空を掻く。それに、腕を伸ばそうと腰を上げた時、唇だけで向けられた言葉に動けなくなった。

『君に触れたい』と。

 そう呟いて、その時になって漸く泣きそうに表情を歪めた。


「だから…」


 姿が薄くなっていく、声も小さくなっていく。けれど、最期の言葉は聞こえなくても脳裏に確かに届いていた。
 僅かな光の粒だけを残して、目の前のソファからその姿は掻き消えてしまう。
 瞳を伏せて瞼を開ければ、其処はもう、いつもの真白い空間にあるテーブルセットの椅子の上だった。

 視線を上げれば、目の前には古めかしい貴族屋敷の一室の様な空間が描かれた絵があった。窓の外には雨が降っている様子が描かれている。
 今まで居たのだろうその空間を暫く見つめてから、少しずつ息を吐き出して。
 それからやっとで躯を硬い椅子の背凭れに凭れ掛けた。

 長い回廊の様な空間に、幾つもある記憶という名前の絵画。それらを見遣り、静かに瞼を閉じる。
 声は聞こえなくとも、頭の中で何度でも再生出来る。聞きなれた声が、勝手に頭の中で形作られる。





 だから、聞く相手の居ない空間で、ルルーシュは何度でも囁く。


「……待っているよ、ずっと。」


 この、果ての様な空間で、ずっとずっと。








 それが、君と交わした一番の約束なのだから。











 放り出された絵画の中、雨はまだ降り続いている。





2009/09/28




何時までだって待ち続けるよ、君が僕に追いつくまで