箱庭の鳥
「私の中の『世界』は、お兄様と私と、大切なスザクさんとで構成されていたんです。」
「…三人?」
静かな空間で、二人はテーブルを挟んで向き合っていた。目の前に出されたティーカップから、暖かな湯気が立ち上っている。
閉ざされたままに瞳と、真っ直ぐに視線が交わる。
瞳が見えずとも、瞼が伏せられたままだとしても。その薄紫の瞳が自分を見つめているのを、アーニャ・アールストレイムは確信していた。
「はい、たった三人。三人だけの世界だったんです。」
酷いでしょう? と少女は呟く。
「兄が、スザクさんが。私を置いていけない事を知っていて私は、そんな事を口にしていたんです。」
静かな声。柔らかな声色は、紡いだ言葉の意味も何も無かったかの様で。
「わざと?」
「えぇ。見捨てられない様に、置いていかれない様に。喩え私を置いて外に行ったとしても、また私の居る所まで戻ってきてくれるように。現に一年前までは、そうだったんですよ?」
動けない自分の行動には制限がある。だからナナリーの行けない場所に兄とスザクが行ったとしても、彼らは必ずナナリーの隣へと戻ってきてくれていた。
「八年前。壊れた世界の中に放り出されてしまった私達は、離れる事を恐れていました。この手を離さなければあの時、スザクさんと離れ離れになる事はなかった。今でも…こうして再会した今でも、あの時の事は酷く哀しくて辛くて。だから私、たった一人私の傍に居てくれた兄を縛り付けたんです。」
もう、誰も離れて行かないように。
目の見えない彼女にとって、一人きりの空間というのはどれほどの孤独を恐怖を与えるのだろう。
視界を持っているアーニャには、想像する事しか出来ない。
「簡単でした。兄は手を伸ばせば何時でも握り返してくれた。寂しいと言えば、何時でも優しく囁いてくれた…。兄にとっても、ただ一人残された私は宝物だったから。」
そうして、二人だけの箱庭は完成した。
其処にいるのは、ただ一人の不在に声を殺して鳴く、二人の小さな子供だった。
「スザクさんさえ居れば。何度この言葉を繰り返したでしょう…。私もお兄様も、それだけスザクさんが大事だった。必要だった。……求めていたのです。」
たった一人の、大切な大切な人だったから。私たちを認めてくれた唯一の人だったから。
「だから一年前、スザクさんと再会出来た時は本当に嬉しかった。嬉しくて仕方なかった。昔の様に、お兄様と二人で傍にいてくれればと、願ったのに…。」
けれど。
小さく呟いて、少女は俯く。
「世界の綻びは突然。……スザクさんと再会して、私達の世界は補完したのに。七年も掛かって…漸く取り戻したのに。大きな力が…スザクさんを奪うばかりでなく、私達の世界をも壊そうとしていた。」
気がつかないのは、無知なのは罪です。
辛そうに表情を歪めて、少女は呟いた。
「私達の些細な願いは、大きな好意という名の力に押し潰されそうになった。それでも、其処でまた築く事が出来るのならと…私は、受け入れたのです。」
それしか私達に出来る事は無かったから。
そう呟く少女の痛々しい表情を、見ているのが辛くてアーニャはゆっくりとティーカップに手を伸ばし軽く喉を潤した。暖かな液体が喉を通るけれど、心まで温めてはくれない。
「力のない私達に出来るのは、誰かの庇護の元でヒッソリと生きていく事だけ。それだけで良かったのです。私とお兄様とスザクさんと。笑っていられるなら、それで良かったのに……。」
其処まで呟いてから、少女もまた紅茶に口を付けた。
「…ブラックリベリオンに、巻き込まれた。」
アーニャの声に、少女は頷く。
「…良くは分からないのです。迎えに来た、という人の言葉を聴いた後からの記憶が無くて…。気がついたら此処に、一人で居ました。」
私は、と少女は震える声で呟く。
「狡いんですよ、アーニャさん。」
その声に真っ直ぐに視線を向ければ、判っているのか少女はニコリと笑う。
「狡いんです。あの後、スザクさんが来て私の手を握ってくれて。お兄様の分も、今は自分が居るからと…。そんな事を言ってくれるんです。」
嬉しいのに。
そうポツリと声を漏らして、少女は笑ったまま片方の瞳から涙を流した。
「私は、また思ってしまうんです。手を離したくなくて、どうしようも無くて。縋る言葉を、縛り付ける言葉を吐いてしまう。」
こう言えば、相手がどう思うのか良く理解している癖に。心に付け入る隙間を的確に見つけ出して。
「私は、アーニャさんが思う程優しい人間ではありません。」
本当に優しい人間は、こんな風に人を縛り付ける事を善しとはしない。
そう、断言する。
「だから貴方に、優しくされる資格なんてないんです…。」
キュウと握られた掌を見て、アーニャは紅茶を飲み込みながら静かにカップを置いた。
「……ナナリー様は、優しい人。」
カチンと小さく陶器が触れ合う音が響く。真っ直ぐに向けられる視線に、同じ位に真っ直ぐ瞳を向けた。交わる事のない瞳孔を見てみたい気がして、その瞼が閉ざされたままなのが酷く残念で仕方なかった。
「だって、自分で自分を酷いって言う。それは、本当に酷い事が何なのか知ってるから。自分が何をしているのか判っているから。本当に酷い人は、自覚なんてしない。」
だから、優しい。
そう言えば、少女は黙って俯いてしまった。
「ナナリー様だから、護りたいと思う。それは、ダメ?」
俯いた身体はそれだけで小さく見える。自分と同じ位の歳なのに、自分よりも小さく頼りなく見えて。
アーニャは膝の上で拳を作り握り締める
少女の両方の瞳が、涙が流れるのを。
ただ黙って見つめているしか出来ない自分を、歯痒く思いながら。
部屋の扉を閉じた時、廊下の向こうからやってくる藍のマントが視界に入った。
別段、声をかけることなく廊下を進めば、向こうから声をかけてくる。
「…アーニャ、来てたの?」
「お茶に呼ばれた。」
立ち止まり向かい合う形で言葉を交わせば、相手は硬い態度を少しだけ和らげた様だった。
警戒心を抱いているという事は理解出来るが、信用していないと云う事に少しだけムカつく心があって、素っ気無く言葉を返す。
「…そう。」
相手もそれだけを呟いて、少女の部屋へと向かう。
『私は狡いんです。』
そう哀しそうに笑った人。
すれ違う背中は、相変わらず冷たくて何かを伺う事も出来やしない。
優しい、と彼女はこの男を言うが本当なのだろうか。自分達に対する態度を見る限りでは、信じられない。ジノの馴れ馴れしい態度にはソレらしく返してはいるが、常に付きまとうあの凍えた瞳を知っているからこそ、そんな事があるのかと否定したくなる。
それでも。
彼女の前では違うと云うのだろうか。
小さな音を立てて扉が閉まる音がする。
僅かに、彼女の嬉しそうな声色が響いてきて、ホッと吐息が知らない内に漏れていた。
嬉しいと感じるのならば、それで良いと思う。
こんな檻の様な建物で囲われていたとしても。
宮殿の奥深く、以前住んでいたという離宮は荒れ果て住める状況ではないという理由で、彼女はこんな奥深くの一室に閉じ込められている。
他の皇族の様に離宮で過ごす事が出来るのならば、今はと違う想いを抱くことが出来るのではないかと、ふと思った。
彼女が此処に居るからこそ、こうして逢いに来る事が出来ているというのに、そんな事を思うのはどうしてなのだろう。
小さな身体を真っ直ぐに前を見据える少女を想えば、胸の奥がチクリと突き刺さる感じがする。
あぁ、あれは彼女の嘆きだ。
あの声は、あの想いは。総て全て、あの哀しい人の嘆きなのだ。
こんなにもあの人に優しくない世界なのならば。
「…こんな世界、なんの興味もない。」
立ち止まり、廊下の窓から見える美しく咲き誇る庭の草花を見つめながら。
そう、小さく呟いた。
捏造も甚だしいですがアニャナナです。
アーニャがナナリーを護ると言ったと聞いたんですが、それがどの情報なのかわからないままにしかも確認もしないで書きました。(きっと小説版だと想うんですよね…知り合いが教えてくれたんですけど)
この二人の接点って本当にどんな感じなんですかね!!!!!???????(其処を知りもしないでよく書くな)
妄想のままに書き綴りましたけども…。
でもこの二人は揃っているととっても良いと想うんです。
ホントです。大好きです、アニャナナ。
2008/07/02