沈黙の庭園












 目の前の豪華な造りの扉を、控えめに二度叩く。内側から小さな声が返って来るのを確認してから、ゆっくりと扉を開くと、明るい室内の中で一人窓の外に顔を向けた少女の姿が見えた。


「…おはよう、ナナリー。」

「スザクさん、おはようございます。」


 声をかければ、嬉しそうに表情を綻ばせて少女は挨拶を口にした。
 靴音を響かせて近くまで寄る間に、少女はその細い指先を顔の前で合わせるとニコリと笑みを深くした。


「今日はお早いのですね。でも…もう少し、お休みになられた方が…。」


 嬉しいと暗に示して声をかけながら、それでも昨日の事を思い出したのか不意に表情を顰める。
 そんな表情を見たくなくて、スザクは車椅子の前に跪くとそっと少女の両手を握った。


「大丈夫だよ、ナナリー。」

「でも…っっ。」

「平気さ、僕は。それに昨日は別に戦闘になった訳じゃないし。」


 だから大丈夫だよ、と。繰り返し呟けば、漸く少女は頷いた。


「それよりも、ナナリーの方は大丈夫なのかい?」


 まさか、とスザクは言葉にする。


「皇帝陛下から、何か…。」

「皇帝陛下は、」


 スザクの言葉を遮る様に、ナナリーはきっぱりと言い切る。


「これ位の事は、気にもしないでしょう。それよりも、周囲の方達の反応の方が早いと思います。それみた事かと…色々と言ってくるでしょうし。」


 特に皇室から、続々と届けられるでしょうね、と。
 少女は気にも留めないと表情で表して告げる。


「ナナリー…。」

「ありがとうございます、スザクさん。」


 名前を呼べば、握り締めたはずの掌に逆に握り返されて。真っ直ぐに向けられる表情は、何処か悲しげな雰囲気を残しつつも、笑みを浮かべていた。


「私の…ユフィ姉様の気持ちを、尊重して下さって。」


 それは。
 そう言おうと口を開くが、言葉は出なかった。


「アーニャさんが教えて下さいました。あの場にいた全員が黒の騎士団の方だったのですね。そうして、黒の騎士団は国外追放と云う形でこの国を去った…。そこまで計算して、あの方は私の言葉に賛同したのですね…。」


 今、この国…エリア11に黒の騎士団は居ない。去ってしまったからだ。
 残るのは、何の力も持たないイレブンという名の国民だけ。


「手を取り合えると思っていました。武力に頼る事のない、平和な世界を。築く為に力を貸して頂けると、思ったのですが…。」


 ゼロは、と。
 小さく呟かれた言葉に、スザクはギクリと身体を震わせた。


「私の言葉を…受け入れては下さらなかったのですね。」

「ナナリ、」

「平気です、スザクさん。」


 呟かれた声は、何処か固い印象を受けた。何かを想い悩む、そんな雰囲気を滲ませている。


「何の力も持たない私の事を、直ぐに信用して頂けるとは思っていません。これから…示していけば、何時か。何時の日か……手を取り合える日が来るかもしれません。」


 それまでは、どうか。
 そう呟いて、少女はしっかりと前を見据えてスザクの瞳を、開かない瞼の内側から見据える。


「スザクさん、貴方のお力を。…私に、力を貸して下さい。ナイトオブセブンとして、この国を変える為に。そして、枢木スザクとして……私の願いを叶える為に、どうか。」


 ギュウと握られた掌は、細い指先に力が込められて白く色を無くしている。その小さな頼りない掌を見つめて、スザクは頭を下げる。
 その膝の上に乗せられた互いの掌に、額を付けるようにして。


「イエス、ユアハイネス。」


 皇帝騎士として、その権力を振り翳す事を躊躇する事はない。
 そして、ただの人間として。


「君の願いを叶える為に…。君達の唯一の想いを知ってるからこそ僕は…君の為の力になるよ、ナナリー。君達を守ると、あの夏の日に僕は誓ったから。」


 ゆっくりと、長い栗毛が覆い込む様に降りてくる。それが、少女が俯き頭を垂れた所為なのだと分かったのは、後頭部に暖かな温もりが触れたからだ。額を押し付けて、少女はスザクの身体に被さる様に上体を折っていた。祈る様に首を垂れて、包み込む様にその身体を翳して。
 何時だって、少女は不自由な身体を前に向き合わせる。その背中を見る度に胸に痛みが走るのを、自覚しない訳にはいかなかった。
 何よりも、少女を公の場所に晒させた原因は自分にあるのだ。


「君の手足になるよ、ナナリー。」


 罪悪感からではない。
 消して、罪を感じているからではないから。この言葉に偽りはないから、と。
 言葉にして伝えられない事を、胸の奥でそっと呟いた。
 この暖かな温もりを壊したくないと、その想いに瞳を閉じる。


「…ありがとうございます、スザクさん。」


 柔らかな声が耳元で響く。


「ありがとう、スザクさん。私は……」


 幸せです、と。
 小さな呟きは、直接耳介に届けられた。
 ゆっくりと瞼を開けば、ついさっき自分で足元に置いた一輪の花が眼に入った。この部屋を訪れる前に摘んで来たのを思い出して、スザクはそれを手に取る。
そうすれば、少女は僅かな芳香に不思議そうに顔を上げた。温もりが離れたのを感じて、スザクも頭を上げる。


「…スザクさん、何か…。」


 クン、と少しだけ辺りの匂いを嗅ぐ仕種に。スザクは小さく笑って、そっと少女の耳元に差し込んだ。


「庭園に咲いてた、早咲きのバラ。綺麗な…薄紫の。」


 綺麗だったから一輪だけとってきたんだ、と。教えれば、少女は耳元に手をやって花の触感を確認して。
 僅かに唇を震わせて身体を強張らせてから、静かに笑った。


「……嬉しいです、スザクさん。」


 いい匂い、と。
 嬉しそうに呟く声が震えていて。


「ナナリー?」


 どうしたの、とスザクは首を傾げた。


「…申し訳ありません。ただ……、こうして。」


 耳元に差し込まれた薔薇を、少女は嬉しそうに掌で確認してから。


「………お兄様も、私に…っっ」


 花を、と。
 それだけで言葉に詰まり、顔を俯かせる少女の言葉の続きを。
 聞かなくても分かった気がした。
 パタパタと閉ざされたままの眦から透明な雫が流れていく。少女の膝に乗せていた掌に落ちた一滴は、暖かかった。


「…っっ、スザクさん、」


 涙を流しながら、少女は目の前のスザクから顔を隠すように深く俯いてしまった。


「スザクさんっ、スザクさん…っっ!」


 何かに縋るかの様に名前を呼ぶ。その唇が噛み締められて赤くなっているのが僅かに伺えて、眉を顰めた。
 細い指先で必死に表情を隠そうとする仕種に、一抹の寂しさを感じる。弱さを見せる事が出来ないのは今居るこの世界の所為か、それとも。
 溢れる涙が少女の掌を伝って降り続ける。俯いた少女の頭部をボンヤリと見つめて、スザクは掌を柔らかな髪の毛に絡ませた。


「…っ、スザクさん…っ、私…私は…」


 私は何か、大切なものを切り捨ててしまった様な気がするんです。

 そう、ほんの小さな小さな声で呟かれた言葉に。
 見送った後姿が脳裏に甦る。黒装束の仮面の下には、やはりあの顔があるのだろうか。
 だとすれば、やはり少女もまた。
 彼の正体に気がついたのか。だから、こんな不安を口にするのだろうか。


「ナナリー…、」

「どうして…、どうして……っっ」


 頼りない指先で己の顔を隠して。それでも抑えきれない涙を溢れさせながら、少女は呟く。


「こんなにも…っ、今、逢いたいと……。」


 嗚咽は喉の奥で噛み殺しているのだろう。それでも端的に呟かれる言葉は、痛みだけを残してスザクに突き刺さった。


「言ってはいけないと…決めたのです。何処かで見ていて下さるだけで今は、満足しようと。この世界は優しくはない…っ、弱さを見せてはいけないと、決めたのに…っ!」


 ほんの僅かな欠片でも良い、あの優しかった人の力を持つことが出来れば。こんな弱音を吐く事も無いのだろうかと、何度も何度も閉ざされた部屋の中で少女は繰り返していた。そんな姿を、スザクは思い出す。


「なのに、まだ私は……。」


 ギュウ、と少女は顔を覆う掌を握り締めた。
 それが、涙を流す自分への戒めなのだと。その様子を見上げていたスザクは、眉を顰めると唇を噛み締める。
 バサリと衣擦れの音が響き、立ち上がったスザクの影が少女を包む。両腕が伸ばされているのを少女は知らない。だからこそ、俯いたまま嗚咽を堪えて涙を流し続ける。

 たった一年で大きく変わってしまった周囲の環境を、受け入れたのは他でもない少女自身だ。
 けれど、唯一の安息の場所は奪われたまま。静かに涙を流す少女にその身を添わせる人物は、この場にいない。
 彼がこの場にいたのなら、迷わずにこうしているだろうと。スザクは腰を屈めて両腕を少女の身体に伸ばした。
 まるで幼子を抱きかかえる様に正面から抱き上げる。胸元に顔を押し付けさせれば、そのまま両手が服を掴んだ。


「大丈夫だよナナリー。僕が隠してるから、今は泣いても大丈夫。弱音を吐いても誰も聞きやしない。」


 そうして、抱え込んだ背中を擦り上げる。
 くぐもった声が胸元から聞こえてくるのに時間は掛からなかった。


「…ぃさま…、お兄様…っ!」


 悲痛な声が、小さな身体から絞り出される。
 片腕で支えてしまえる軽い身体。半身の自由を奪われているからこそ、筋肉の付かない所為で未成熟なままだ。スザクの片腕でも支えてしまえるその存在に、胸がツキリと病んだ。
 この少女の目の前から、大切な存在を奪ってしまったのは誰だ。自問自答しながら、スザクは腕の力を込める。
 トントンと扉を叩く音がして、返事を確認せずに開かれた扉に。
 スザクは瞬時に、姿を現した人物に視線を突き刺した。


「失礼しま…っ、枢木卿…?」


 緑のドレスを纏い、眼鏡の奥で驚いた表情を浮かべたその人に。スザクは自分の身体で少女を隠し、背中越しに振り向いたままで視線を投げる。


「ミス・ローマイヤ。許可があるまで、この部屋には誰も近づけないで頂きたい。」

「…それは、」


 どうして、と続く声を発させずスザクは遮る。


「ナイトオブセブンの名において、この部屋には許可があるまで入室を禁じます。」


 退出を、と。固い声で呟かれて、名前を呼ばれた女性は苦い顔を浮かべながらも扉を閉めた。
 視線を少女に戻せば、急の出現に驚いたのか両腕はスザクに縋るかの様に回されている。


「ナナリー、今は幾らでも泣いて良いんだ。時間が来たら、顔を上げればいい。だから、好きなだけ泣いて。」


 誰も見ていない。誰かの視線を気にしなくてもいい。
 だから、と。呟くスザクの声に安堵したのか、少女は肩の力を抜いた。


「お兄様…っ、お兄様っっ」


 泣き続ける少女の背中に腕を回して抱きしめる。
 ゴメンね、の言葉は発してはいけなかった。
 その時、廊下からバタバタと足音と共に言い合う声が聞こえたかと思えば、お座なりに扉が叩かれ勢い良く開く。


「立ち入り禁止ってどういう事だぁ、スザク?」


 ラウンズのマントを翻して部屋に入って来たのは、二人。その後ろに、先ほど追い出した人物の影を見つけてスザクはため息をついた。


「判ってるなら入って来るなよ、ジノ。」

「……失礼します。」


 その隣で無表情のままに立っていた少女は、形ばかりの挨拶を口にして扉を閉める。


「アーニャ、鍵かけてくれる?」


 相変わらず、扉に向けて背中を向けた格好のまま話すスザクにジノは首を傾げた。隣ではアーニャが言われた通りに鍵を掛けている。
 不自然に首だけを向けているのが気になるのか、ジロジロと青色の背中を観察すれば。丁度スザクの左脇の辺りから、細く白い脚が覗いている。
 ふと見れば、肩の辺りからも所々に栗色の髪の毛が伺えた。


「…何してんの、スザク?」


 ツカツカと歩み寄り、背中から顔を出したジノにスザクは眉を顰める。


「ジノ!!」


 腕の中の身体がビクンと小さく跳ねたのが分かって、スザクは少女を支える腕の力を強めた。
 小さく震える肩に、僅かに見える濡れた頬の輪郭。
 それだけで何かを察したのか、ジノは瞳を眇めると胸元に手を入れて何かを探り出す。


「馬鹿だなスザク、こういう時は黙って涙を拭いて差し上げるものだ。」


 そう言って差し出した白いハンカチを、そっと少女の頬に触れさせた。


「お顔を上げて頂けますか、ナナリー総督。スザクの服なんかで涙を拭いたら、汚くてお顔が汚れてしまいます。」


 おどけた様に呟くジノに、スザクは言われた言葉の意味を考えて不機嫌そうに顔を歪めた。


「汚いってどういう意味だよ、ジノ?」

「ハンカチに比べたら汚い。」


 いつの間にかジノの反対側に立っていたアーニャが、スザクのマントの端を引っ張りながら呟く。


「………っ、」


 その言葉に、グッと口ごもるスザクを尻目に。桃色の髪の毛を結い上げた頭がスイとスザクの前に躍り出た。


「総督、大丈夫?」


 俯いたままスザクの胸に額を押し付けている少女を覗き込んでそう呟く。
 声に出さない嗚咽が、二人にも聞こえたのだろう。
 ゆっくりと吐息を繰り返していた少女は、右手をスザクの胸に置くと顔を上げた。


「…おはようございます、お二人とも。」


 顔を上げたその両方の眦は赤く、頬は濡れたまま。それでも少女は毅然と顔を上げて微笑んだ。
 その頬を、そっとジノが手にした布で拭う。


「スザクに苛められましたか?」

「まぁ、まさか。」

「涙の理由をお聞きしても宜しいでしょうか。」

「…ありがとうございます。大丈夫ですから…。」


 はぐらかす様に呟いて、少女は声のする方向へと笑みを向けた。ジノはスザクへと視線を投げると、少女の掌にハンカチを手渡す。戸惑い気味に、お借りしますと小さく呟いて、少女は両手でそっと持ち上げたハンカチで涙を拭っていく。


「スザク。」


 グイグイと引っ張られるマントに視線を落とせば、アーニャが何かを言いたげにしていた。


「なに、アーニャ。」

「早く降ろして。スザクが拐かすみたいに見える。」

「……ハァ?」


 聞き捨てならない言葉に声を上げれば、腕の中で少女が驚いた様に表情を崩して。
 そのままクスクスと、小さく笑った。


「…早く降ろしてスザク。」


 あくまでも無表情のまま続けるアーニャに、スザクは僅かに眉を顰めたままで少女の身体を車椅子へと戻す。そうすれば、彼女はスッと車椅子の前に跪いた。


「総督、それ……。」


 何かを言おうとした唇を止めて、アーニャは指を少女の耳元へと伸ばす。


「薔薇…?」

「えぇ、スザクさんが持ってきてくれたんです。」


 似合わないですか?と不安げに問いかけてくる様子に、ジノはいいえと優しく答え、アーニャはギュっと少女の手を握り締めた。
 そうして、片手に持っていたものを少女の膝の上に置く。


「……先、越された。」


 悔しい、と。ポツリと零された声は隣のスザクにしか届かなかったらしい。


「総督、アーニャからも花の贈り物ですよ。」


 ジノの声に、少女は顔を上げてジノを見上げるとそのままアーニャのいるだろう場所へと顔を向ける。


「此処の庭園は手入れが良くて、あまりに綺麗だったので頂いて参りました。アーニャから、総督に似合う色を。」


 膝に乗せられたモノに恐る恐る少女は指を伸ばした。茎が触れて、ソレを持ち上げると自分の顔の位置まで持ち上げる。


「……ガーベラ、ですか?」


 崩れないようにと指先で撫で付ける様に花を確認しながら、少女は呟いた。


「えぇ、薄いピンクの。」

「………。」


 言葉少ないアーニャの代わりに、ジノが答えると少女は顔を綻ばせる。


「…嬉しいです、アーニャさん。」


 顔を上げ、アーニャの気配のする方を見ると本当に嬉しそうに笑った。その表情に、彼女は立ち上がりながら視線を彷徨わせ、僅かに瞳を和らげる。
 その様子に、嬉しいのだなと判ってジノとスザクは声には出さずに笑った。


「それとコチラは私から。」


 マントの下から取り出した物を、ジノは少女の掌の上に優しく落とす。小さな花束の形に纏められたその花の匂いを、少女は顔の前まで持ち上げて確認する様に鼻を寄せた。


「ビオラです。真っ青で可憐な花ですよ。」


 私からも総督に似合いの花を、と。
 腰を屈めて少女を真正面から見つめて囁く。
 その様子に、顔が近いとスザクが小さく呟いたのにジノは苦笑を零した。


「ありがとうございます、ヴァインベルグ卿。」

「ジノで結構です、ナナリー総督。是非名前でお呼び下さい。」


 その方が嬉しいです、と笑うジノを隣からジロリとスザクが睨んでいるのを、アーニャは反対から見つめて眼を眇めた。


「…今日は朝から嬉しい事ばかりです。ありがとうございます、スザクさん、アーニャさん、ジノさん。」


 本当に、と。呟いて少女は眉尻を下げた。


「昨日の事を、心配して下さってるのですよね?」


 ご心配をおかけして申し訳ありません、と。すまなそうに呟く姿に、スザクが顔を顰める。
 図星を突かれてジノは黙ったまま空笑いを浮かべ、アーニャは視線を僅かに伏せた。


「でも…、特区が失敗した訳ではありません。残された日本人の方々の参加を募り、これからフジを中心に区域を広めていくつもりなのです。黒の騎士団が居ない以上、テロリスト活動が全くなくなると云う訳ではありませんが……。」


 残された人達こそ、本当に特区を必要としているのではないのかと思うからこそ。
 少女は今が大事なのだとハッキリと言い切った。


「此処で何か形に出来なければ、何の為に宣言をしたのか判りません。本国の方々にも嗤われる事でしょう。今、私に出来る事が何なのか…それを考えれば自ずと答えは出ます。」


 私に出来る事は、特区の整備を進める事だけ。キッパリと言い捨てて、少女は目の前に居るであろう三人に視線を向けた。


「大丈夫です。」


 自らを戒めるかの様に厳しさを湛えて、少女は呟く。


「私は、大丈夫です…。」


 ギュウ、と手に持った花束を握る掌に力を込められる。祈る様に握り締めた掌を額に当てて、少女は泣きそうな表情を浮かべているのに気がついているのだろうか。
 言い聞かせているかのような台詞に、アーニャは顔を上げて政務机に視線を向けた。歩き出そうとして、何かに気がついたのか僅かに身体を揺らしただけで立ち尽くす。
 そうして、顔を伏せたままの少女に視線を戻した。


「総督、携帯は?」


 その言葉に、少女は車椅子と身体の間に置いていた携帯を取り出しアーニャに差し出す。
 使ってもいい?と問いかけられて、少女はハイと笑った。


「アーニャ?」

「何してんのお前。」


 スザクとジノが不思議そうに、少女の携帯を弄り始めた彼女を見つめる。


「短縮ダイヤルに私の番号、登録しておく。…スザクに連絡が取れなかったら、私に掛けて。」


 相変わらず無表情のまま、携帯の画面から視線を離さず少女へと語りかけた。


「任務の時以外なら、何処からだって直ぐに駆け付ける。…何も無くても、泣きたい時でも、呼んで。スザクの代わりなら私にだって出来る。」


 だから、と。
 使い終わった携帯を少女の掌に戻して、アーニャは両手で少女の掌を握り締めた。


「……辛い時は、我慢しないで。」


 真っ直ぐに少女の閉ざされた瞳を見つめて、アーニャは呟く。
 その真摯な声に、少女もまた真っ直ぐに見えない視線を彼女に向けた。


「…私、は…。」


 ゆっくりと、戸惑いながら開かれた唇は。小さな呟きだけを紡いで、閉じられてしまった。


「本当に…平気なのです。大丈夫です、アーニャさん。」


 再び薄紅の唇が開かれた時には、その表情には総督としての毅然とした笑みを浮かべていて。
 ご心配、ありがとうございます、と。
 何処か遮られた笑みで囁かれた言葉に、三人は声をかけることが出来なかった。














































「スザク。」


 並んで廊下を歩きながら、ラウンズに充てられた部屋へと戻る途中。ポツリと小さく掛けられた声にスザクは桃色の頭を見下ろした。


「なに?」

「『ルルーシュ』って、誰?」


 その言葉に、スザクは大きく身体を揺らして立ち止まる。


「…その名前、誰から聞いた?」


 ゆっくりとアーニャを見下ろしながらスザクは小さく呟いた。


「総督の携帯に登録してあった。短縮ダイヤルの一番目に名前だけ。」

「そう……。」


 そう呟くと、何も言わずにスザクはまた歩き出す。
 隣でジノもまた、そんなスザクの姿に倣うように歩き出す。けして口は挟まないまま。


「……どうして番号がないの?」


 盲目の少女にも掛け易い様にとスザクの番号も短縮ダイヤルに登録されていた。けれど、一番は中身の無い名前だけの空白。
 もしも今、少女が一番に電話を掛けるとしたらそれはスザクなのだろう。必要最低限の用途しか与えられない携帯に、一番必要なのはスザクの番号だ。
 そして勝手に弄った少女の携帯のメモリには、二人の名前しか記されていなかった。
 二つだけの登録メモリー。
 しかし一番に必要な場所は、名前だけを冠して空けられたまま。


「ナナリー皇女殿下の兄上は行方不明だ。」


 だからだよ、と。言葉少なく返答するスザクの纏う空気が変わった事に、二人は気づく。


「スザク。」

「…なに。」


 アーニャが呼べば返事はする。けれどその背中が冷たい空気を纏っているのは変わらなかった。


「…どうして、名前で呼ばないの?」


 ルルーシュ殿下の事。
 その小さな声に、スザクはピタリと足を止めた。


「仲が良かったって、総督が言ってた。」


 どうして?
 首を傾げるアーニャに、スザクはただ視線を向ける。


「さっき、どうして態々、『皇女殿下の兄上』なんて言い方をしたの?」


 変。
 そう言い切ってアーニャはジッとスザクを見つめる。その視線が何処か苛立ちを沸き立たせて、スザクは唇を引き締めた。
 何が判るというのか。
 そう思って、スザクは口端を吊り上げる。


「…君に、ソレが何か関係あるのかい?」


 薄く引かれた唇が、歪に表情を彩る。暗い光を浮かべた瞳を向けられ、アーニャはそんなスザクの表情に驚いた様に眼を瞠った。


「……ない、けど。」

「そう……。」


 それだけ呟いて、スザクは立ち止まる二人に背中を向けると一人廊下を歩いていった。
 その背中を見つめながら、ため息交じりにジノが口を開く。


「……なぁ、アーニャ。スザクの携帯のメモリ、見た事あるか?」


 ジノの声に、アーニャは首を緩く振る。


「アイツも似た様なものだよ…。番号の登録はされてるが、名前が無い。まぁ、番号を覚えてるんだろうけど……その中で唯一名前が登録されてるのが二人。」


 そう呟かれて、アーニャはジノの顔を見上げた。


「ひとつはそう、さっきアーニャが言った『ルルーシュ』殿下。何を隠そう、メモリの一番はその人でしかも番号入りだ。二番目はナナリー総督。」


 どういう事だと思う?と。ジノは呟いてアーニャの髪の毛を撫で付けた。


「…判らない。」

「うん、判らないよなぁ。」


 ニコニコと笑いながら頭を撫でるジノは、きっと彼女を慰めている。掌の熱に、少しだけ安心した心を吐き出す様に、小さく吐息を吐いた。
 そんな風に答えながらも、二人とも判っている事は。
 少女にとってもスザクにとっても、『ルルーシュ』という人物が特別なのだという事。そして、それはスザクとナナリーを繋ぐ唯一の糸の様にも感じられる。


「スザクが何を想ってるのかなんて判らないけどさ、」


 小さくなっていく青のマントを見つめながら、ジノはふと視線を伏せた。


「…つくづく、似てる二人だと思わないか?」


 酷く、淋しいけれどな。
 悲哀を込めたジノの声に、アーニャは俯く。

 あんなにも仲良さそうに、互いを信頼し合い、気遣い、笑いあう。
 そんな二人の間に引かれた不可視の線。
 同じように何かを求めている、哀しい瞳の色。
 その視線の先には、どんな色の瞳が待っているというのだろうか。

 あぁ、と。アーニャは無意識に胸元を押えた。
 向かい合い手を取り合う二人の姿が今、少しだけ変わった様に思える。きっと、同じ位置に並んで何かを探しながら前を見据えている。それでも、その掌は握られているのだろう。

 今まで見ていた少女の姿を、少しだけ改める。
 護られるだけの少女ではないのだと、その毅然とした姿勢に少しだけ、胸が痛んだ。

 ふと視線を動かせば、視界の先に朝方勝手に侵入した庭園の入り口が見える。
 色とりどりの花が咲き誇る、綺麗な空間。
 少女が語った、優しい世界。
 それが、こんな世界なら良いなと。
 どうしてかそう想った。


「行くぞ、アーニャ。」


 促すように手を引かれて、彼女もまた廊下を進んでいく。










 伸びた廊下の先では、きっとスザクが凍えた雰囲気を保ちながら佇んでいるのだろう。















とにかく、お姫様抱っこではなく正面抱っこを書きたかっただけです…。
スザナナは正面抱っこだと想うのですヨ!!!(妄想)

ナナリは強く強く。芯は強い子なのですよ…ね?(24・25話しか観てないので…)


スザクもナナリーも一番に携帯に入れる番号はルルーシュだと確信しています。
新しく渡された携帯の為、ナナリのは番号は入ってません。スザクは…ラウンズ様だから知ってるんだ(笑)
敢えて名前を入れるのはルルとナナだけ。
それだけ大切なんだと自分で気づいてくれれば良いのになぁ。つかスザクは携帯に名前入れない雰囲気があります。あ、ラウンズ枢木さんはです。
だからジノとかアーニャとかも番号だけしか入ってなさそう。
番号だけみて、『ジノかぁ』とか想うんだよ。うんざり顔で。この番号はロイドさん、見たいなね!!
さすがラウンズ枢木様だよ。(どんだけだよ私の中のラウンズ様は)





7話でアーニャがナナリを即座に連れて行ったのを見てから、アニャナナが好きになりました。アニャはナナリに懐けばいいよ…。な願望を込めてます。
妄想なのでスルーしといてください…。







2008/06/13