軋む世界
眼を開ければ、見慣れた天井と辺りを仕切る白いカーテンが視界に入った。
ぼんやりとする頭で今の状況を把握しようとするが、上手く働かない。
一体何が、と頭を横に向けた時。
「………」
視界に始めに入ったのは茶色の癖毛だった。
伏し目がちの緑の瞳は、何処か探る様な視線を送ってくる。
「………」
互いにただ無言で視線を合わせていれば、相手は微かに息を吐いたようだった。
「ルルーシュ、寝惚けてるのならもう少し寝てなよ。」
静かに掛けられる声は、無機質で堅い。疑いを見い出そうとするその鋭い視線は、教室で見せる姿とは確かに違っていた。
「……スザク?」
漸く絞り出した声は擦れていて、それに僅かに眉根を寄せるのが見て取れた。
「…本当に起きてる?君、起き抜けは何時も寝惚けてるだろ。」
態とらしく溜め息を吐いてそう呟く彼の、反らされた横顔を見つめる。
何故ここに、と。冴えてくる頭の片隅で怒りが沸き上がってくる。
しかしそれを表に出す事は出来ない。
姿を目にした瞬間に急速に意識は醒めた。けれどそれを悟らせる訳にはいかなくて、ただジッとその横顔を見つめる。
怒りに瞳が揺らいだりしないか、不安や焦燥感を押し込めるので精一杯だ。
だから何も、言葉にすることが出来ない。
「………」
言葉を発しない事を不満に思ったのか、無表情だった横顔が不意に顔をしかめる。
「っ、倒れたの…憶えてないのか?」
その表情は憎々しげに眉根を寄せていて。吐き捨てる様に呟かれ、沸き上がる嫌悪感に顔をしかめそうになった。
それを何とか押し込めて、耳元に響く鼓動を聞きながらひたすら相手の反応を待つ。下手に反応を返せば、訝しがられるのが分かっているから。
「………」
暫くの間、互いに無言のまま時間が過ぎてゆく。
ハァ、と小さく吐息を吐くのが聞こえた。
「まだ…寝惚けてるんだ?」
その声と同時に、ゆっくりと腕が伸ばされた。
ギクリとこわばりそうになる体を、見開きそうになる瞳を必死に押し留める。
視線で追えば、指先がサラリと前髪を掬っていく。
呆然と相手を見遣れば、相変わらずの無表情で。
「…昨日、何かあったの?」
「……は?」
思わずそう声を漏らせば、苦笑したような表情を張り付かせて、スザクは椅子に座ったままの体を前に乗り出した。
「昨日、演説の途中で居なくなったってシャーリーが言ってたから。今朝から顔色も悪かったってリヴァルも言ってたし。」
平気?と。友達という仮面を被り、問いかけてくる。
何を聞きたいのか、何を探りたいのか。何処までも反応を知っている筈だろうに。もしも記憶が戻っているのならば、どう思ったかなんて手に取るように分かるだろうに。
「…今日は、遅刻か?」
見えない左手を、寝具の中でギリリと握り締める。
朝、登校した時には居なかった筈だ。それがこうして居るというのなら、遅れて来たのだろうと話題を変える為にもそう声をかければ。
「うん、昨日の仕事の後始末がね。残ってたから。」
笑うスザクに、そうかと小さく呟いて笑みを浮かべてみる。
「お疲れ様。」
気遣いの言葉を吐けば、目の前の瞳は片時も逸らされる事なく僅かに睫が揺れた。
「来てみたら、貧血起こして保健室で寝てるって聞いたから驚いた。鞄持って来たから、今日はもう帰って休みなよ。」
心配したのだとでも言いたげな台詞に、思わず喉が鳴る。
反射的に飲み込んだのは、罵倒か悲鳴か。どちらなのか自分でも判らなかった。
「………あぁ、そうだな…。」
そうするよ、と。呟けばスザクは穏やかな笑みを浮かべているのが見えて。
ドクドクと鳴る鼓動を聞きながら、混信の力を左手に込めて。悟らせない憤りをシーツを握り締める事でやり過そうとする。
無意識に笑みを深めようと口端が吊り上がるのを、不意に力を抜く。不自然に映らない様に瞳だけで笑みを強くさせれば、スザクは僅かに瞳を瞠らせた。それは一瞬だったけれど。
気がつかない振りで起き上がり脚を下ろせば、当然の様に手を差し出して手助けしてくる掌に。無性に爪を立ててやりたいのを必死に堪える。
この掌は何度と無く自分を否定してきたモノだ。そう思うだけで、胸の奥が軋む音がした。
「すまない。」
立ち上がる為にその掌を取る。
不自然さは感じさせなかった筈だ。その証拠に、伺う様な視線を向けて来ている。
手を借りて立ち上がれば、スザクが鞄を持ってカーテンを開け先に出て行く。その背中を見つめながらこの場にいない『弟』の存在を思い出す。
「…スザク、お前いつから此処にいたんだ?」
ガラリと扉を開けて廊下へと進んだスザクに声をかければ、首を傾げながら振り返ってくる表情が何故そんな事を聞くのかと物語っていた。
出掛けに室内の時計に目を走らせれば、丁度午後の授業が始まった頃で。一体どれくらい、あの場所で見られていたのかと背筋を冷たいものが走る。
「ん…と、三時限目の前からかな。」
「…お前…。」
並んで廊下を歩きながら呟いて、呆れたという表情でスザクを見つめた。
「そんなに長い時間、俺に付いていたのか?」
「…心配だったから。」
ニコリと笑いながら言われて、ピクリと肩が揺れた気がした。緑の瞳を覗き込んでも変化が見られないのに、僅かに安堵しながら会話を続ける。
「それなら、ロロを呼んでくれれば良かっただろう?何もお前が授業を休んでまで付いてなくても良かったんだ。」
何のために復学したんだお前は、と。ため息交じりで呟けば、驚いた様に瞳を見開いて凝視してくる。
「…どうして?」
「どうしてって……。」
「僕は心配で、好きで君の傍に付いてただけだよ。」
立ち止まり、真っ直ぐに視線を寄越す。
「どうしてそんな、距離を置こうとするの?」
「そんなつもりは…。」
「…そう?」
眇められた瞳が、剣呑な色を含ませる。これ以上は話をしていたらいけないと、頭の中で警報が鳴っている気がした。
「あぁ、それに……。」
そう言い淀んでチラリとスザクの瞳を伺えば、案の定、片眉を吊り上げるのが見えた。
「…何?」
先を促す瞳が、目覚めた時と同様に冴えている。ギュウと拳を作り握り締めれば、それすら視界で確認するスザクの姿。
以前と同じ様に、以前と同じ立場に居ようとするその姿に。
吐き気がする。
「なんか…変わったな、お前。」
にこやかに、けれど言い難そうな雰囲気を醸し出しながら続ける。
これ以上の腹の探りあいは、今は避けたいのだ。
驚いた表情で見つめてくるスザクに、極力言葉を抑えようとしている風に見せかける。
今のお互いの立ち位置は、以前とは違う。それを分かっていながら、それでも以前の様に接してくるのは罠なのだろうか。
「確かに去年までのお前は、穏やかで…他人に気を使う優しい人間だったが。」
戸惑う表情で笑えば、何を言いたいのかとでも言いたげな瞳が真っ直ぐに射抜いてくる。それを真正面から受け止めて、更に続ける。
「それでも……俺達、そんなに取り立てて仲が良かったかな…?」
「っ!!」
休んでいるのを付き添って貰う程、心配される様な間柄だったか?と。心底不思議そうな表情を作って問い掛ける。そうすれば、目の前の瞳が僅かに瞠られ息を呑むのが分かった。
「…なに、言ってるんだよ。」
俯いて低く呟く姿に。
「っ悪い、気に障ったなら」
謝る、と。続けようとした所を、不意に腕を掴まれて阻まれた。
「…友達だろ?僕たちは…」
間近に迫った表情が、痛ましく歪んでいるのを。発せられた言葉に真っ白になった頭で呆然と見つめる。
その言葉を、お前が今。
俺に囁くと言うのか。
「…っっ」
瞬間に込み上げたモノは何だったのだろうか。酷く、喉が焼け付く感覚が襲ってくる。
「ルルーシュ。」
答えを促す様に腕を揺すられる。
「え?……あぁ、」
一瞬の逡巡の後、笑みを無理やりに浮かべて唇を弓引く。
これ以上は無理だ、と。何処かで嘆く声が聞こえた気がした。
「…同じ生徒会のメンバーだからな。」
そう呟くのですらやっとで、身体が震えてしまわないかと頭の片隅で考える。
笑えている筈だと、笑えと。ガンガンと鳴り響く警鐘が頭の中で木霊する。
目の前の新緑の瞳が、今度はハッキリと強張ったのが判った。
「…なんで。」
「スザク?」
一瞬だけ痛ましい表情を浮かべた後に、俯き、腕を握り締めた掌に力が込められる。強い力に思わず眉を顰めれば。
「なんで……友達だって言わないんだよ?」
眉根を寄せて、これ以上無い位に目尻を吊り上げて。喉奥から搾り出した低い声でスザクは呟く。
「なんで……」
ギリギリと噛み締めた唇が歪んでいるのを、視界に捉えた。
何で、と。どうして、と。
言いたいのは此方の方だと、何度も頭の中で繰り返す。
力の込められた指先が腕に食い込む。
「なんでっっ!!」
吐き捨てる声は荒く、憤りを滲ませていた。
その声が耳元で響くのと同時に、温もりが肩先に触れる。
僅かな、一歩程の距離しか無かった間合いが詰められて。
目の前に見えるのは同じ制服の肩口と、茶色の。
眼に馴染んでいた、クセの強い髪の毛。
「……っっ、」
込み上げるナニかに、胸が詰まる。
それでも動揺を、今の状況を悟らせる訳にはいかないのだ。
温もりが馴染んでくるのが不快で仕方なくて、目の前がゆっくりと霞んでいく。
不快なのだと、何度も何度も言い聞かせて。肩に置かれた額から伝わる体温が酷く熱いと、顔を顰めた。
振り払うことの出来ない身体に、腕を添えることもせずに。ただ黙ってその熱を受け入れる。
互いに、同じような表情を浮かべている事に気づく事はない。
暫くの間、二人とも微動だにせずに身体を触れ合わせたまま沈黙を続ける。廊下に人影は無く、遠くからの授業の喧騒が聞こえてくるだけだ。
不意に、腕に絡んだ指先に更に力が込められてビクリと思わず身体が揺れた。
同時に目の前の茶髪がゆっくりと離れていく。
あぁ、離れていくと。ボンヤリと、安堵とも取れる感情が襲ってきた。
ゆっくりと離れる身体。俯いていた顔がゆっくりと上がって、合わせた視線の先でスザクは眉根を寄せたままで笑みを浮かべると、そのまま視線を下げた。
「…送ろうと思ったんだけど。ゴメン……教室に戻るよ。」
ゆっくり休んでと、そう言いながら静かに鞄を差し出す。俯いている為、頭しか見ることが出来ない。
存在を示す様に所々跳ねている茶髪が視界に広がっている。それが懐かしいと、どうして思うのだろうか。
黙ったまま鞄を受け取ると、スザクはクルリと身体の向きを変えた。
拒絶された様な感覚が襲ってきて、自然に足は反対方向へと向かう。
背後から聞こえてくる僅かな足音から、逃げる様に足を速めた。
振り返ることもせずに。
ただ只管、この場を離れたかった。
「………っっ、」
足早にクラブハウスまでの通路を通り、監視カメラの死角へと向かっていく。このまま自室まで戻っても、胸の中に蟠るこの感情を収めることは出来そうに無かった。
角を曲がり、そのまま背の低い植物の前まで来ると素早く木の陰へと入り込む。
途端に、左手を間近にあった壁へと打ちつけた。
ガツンと音がして、打ち付けた掌がジリジリと痛む。
「クソ………っっ」
ハァハァと息が上がる。早く歩いていた所為か息が中々整わない。
それでも、何度か掌を壁へと打ちつけて、ルルーシュはゆっくりとその場に膝を着いた。
耳に残る単語が、頭の中から離れない。
一番聞きたくない言葉だった筈だ。言われる筈のない言葉だ、アレは。
なのに。
「……っ、」
小さく息を呑む。
悔しい、と。胸の奥で呟く声がした。
「っっ!!」
悔しい、悔しいと。
何度も心の中で繰り返す。
パタパタと流れた雫が、地面に落ちる。
これ程の怒りを感じたのは久しぶりだと、呆然と思った。
こんなにも掻き立てられる感傷を知らない。
悔しくて悔しくて、何度も掌を壁に打ち付ける。
ナニを指して悔しいと思うのかも、判らないままに。
数歩進んでから、スザクはそのまま足を止めた。後ろから、足早に去っていく足音が聞こえる。
その足音が聞こえなくなってから。
左手を、戸惑うことなく壁へと叩きつける。
鈍い音と共に、僅かな欠片が廊下にパラパラと散った。
「……っクソ…っっ」
苛立ちを感じるのは、記憶を共用していないからか。
奪ったのは自分でもあるのに、忘れている事に苛立ちを感じるのか?
それとも。今の反応の総てが偽りだと、思えば思うほどに憤りが増すからか。
確証のない仮定でしかないと云うのに、どうしてこんなに駆り立てられるのか。
「……っっ!」
込み上げて来た、名前のない感傷を。
封じ込める様に、壁に打ち付けたままの左手に力を込めてやり過ごす。
今のお互いの関係は、ただの友人。
一年前に編入してきたスザクと、生徒会メンバーとして知り合ったに過ぎない。
だから、聞いてくる。『そんなに仲が良かったか?』などと。
八年前の事など、今の彼の中には存在しないのだ。
それが酷く、胸を焦がして。
スザクは歪めた口端から荒々しく息を吐くと、その緑の瞳を凍らせて。前を凝視しながら、足を進め教室へと向かう。
後ろは振り向かなかった。
胸を焦がす程の焦燥感に苛まれて、壁に爪を立てながらギリギリと唇を噛み締めルルーシュは瞳を開く。
(……この位で、何を…)
何を翻弄されているのか、と。自らを叱咤する。
小さな言葉の一つに、何を囚われるのか。
遠くの喧騒を聞きながら、当ても無く廊下を歩いてスザクは不意に脚を止めた。
(何をしているんだ、僕は……)
言葉を紡がれたからと言って、何が変わるというのか。
(あの日、)
(あの時、)
世界は終ってしまったと言うのに。
それでも。
あの夏の日を思い出して、二人は瞳を歪めるのだ。
2008/06/03
ココの基本姿勢のスザルル…と思います(オイ)
悔しいのはスザクの行動に一々反応してしまうのが、です。
腹が立つのは、忘れてしまっているのに優しいルルーシュが憎らしいからです。
どんだけ病んだ関係なんだ…。
2008/06/05(改正)
間違った文章のほうで更新していたので、改正しました。